11月

 

 

 

28(木)   「Friends」は何について歌っているのか?

 

 

 

   1970年代に絶大な人気を誇ったイギリスのロックバンド、レッド・ツェッペリンが出した3枚目のレコード ( 今はCDですね ) には、それまでの彼らの特徴だったヘビーなエレキギターのロック色は後退し、アコースティックギターを使った曲が多くおさめられている。

   このCDの2曲目に「Friends」という曲が入っている。変則チューニングのリズムギターのひねくれ具合がかっこいい。ぼくはこの曲が大好きで、以前ギターパートをコピーしようと試みたのだけど、チューニングすら解明できなかった。

   この曲は「Friends」という題名だから当然友だちに関する何かを歌っているのだろう。この種の歌は、大切な友だちのこととか、変わらぬ友情だとか、そんな内容の歌詞であることが多い。けどツェッペリンの「Friends」は、どこか緊張感を持った楽曲で、" 友だち" について歌っている雰囲気ではない。いったいロバート・プラントは何について歌っているのだろう?歌詞を聞き取ろうとしてもぼくの英語の能力では細かい内容まではわからない。

 

 

   人の不安をあおりたてるような、不吉な感じのストリングスのメロディーライン、この演奏をバックに「永遠の友情」について歌っているのだとしたら、大したものだ。おそるべし、レッド・ツェッペリン。

 

 

 

26(火)   秋の街の風景

 

 

 

   秋のこの季節は空気がきりっとして、見るものがいつもよりクリアに目に入ってくる。夕方、日が暮れた甲州街道をクルマで走っていると、フロントガラス越しに見えるテールランプの列がとてもきれいです。道路沿いの銀杏の黄色い落ち葉が薄闇に舞い上がっている。これが気ままなドライブだったら最高なんだけど、ぼくが運転しているのは2t ダンプ、しかも夜勤、これから明け方まで仕事なのだ。秋の街の風景を楽しむ余裕はないのだ。

 

 

 

24(日)   わたしがオバさんになっても

 

 

 

「わたしがオバさんになっても」という歌がはやったのはいつのことだろう。10年以上も前?もしかしたら20年ちかく昔のことかもしれない。あれからかなりの年月が経っているけど、この歌を歌っていた森高千里さんは当時と変わらずキレイです。あの歌は無自覚に老け込んでしまう人たちへ警鐘を鳴らすメッセージソングだったのかも知れない。いまだ美しい容姿を保った森高さんを見ているとそんな深読みさえしてしまう。

 年をとったら「ミニスカートはもうムリ」とか歌ってたけど、森高さんならまだ全然いける気がします。

 

 

 

20(水)   ばらの値段

 

 

 

「百万本のばらの花を~、あなたにあなたにあなたにあ~げ~る~」という歌があります。曲名はわからないけど加藤登紀子さんの歌です。この歌を聞くとぼくはいつも「ばらっていくらなんだろう?」としばし考える。花を買う習慣がないから全然わからない。ばら一本10円で計算しても百万本だと一千万円だもんな。ばらの花よりもキャッシュで一千万円もらうほうがうれしいな、などと起こりもしない状況に思いをめぐらす。

   なにかの機会に値段を確かめてみようと思うのだけど、実際に花屋の前を通りかかるころにはそんなことはきれいさっぱり忘れてしまっているのだ。

   この歌をラジオなどで聞くたびにばらの値段について考え、やがてそれを忘れるということを繰り返しています。

 

 

 

6(水)   ふたつの投入口

 

 

 

   缶コーヒーの自動販売機の横に空きカンを捨てるゴミ箱が置いてある。ふたつ穴が空いていて、「カン」と「ペットボトル」それぞれ投入口が分かれている。けどどっちの穴から捨てたとしても、結局はゴミ箱のなかで同じビニール袋に仲良く収まることになる。

 

 

   ・・・・分別して捨てる意味、なくね?

  

 

   現場での昼休み中、クルマのなかで窓の向こうの自販機をながめながらそんなことをぼんやり考えた。