3月
31(木) ヘビーメタルとコーヒーの季節
ぼくはコーヒーがすきです。味には全然うるさくないので、自宅ではもっぱらインスタント。ネスカフェのビンを逆さまに振ってカップにコーヒーの粉を入れ、その上からやかんのお湯をドボドボ注いで出来上がり。
インスタントコーヒーを飲むと思い出す友だちがいる。十代の終わり頃、ぼくはその友だちの家によく遊びに行った。
遊びに行くと、かれは大抵寝ていた。日曜日の午前中に訪ねて行ったら朝寝をしていた、ということではなく、平日の夕方に遊びに行ってもかれは部屋のすみで毛布にくるまっていることが多かった。
まぶたをこすりながらぼくにあいさつをし、かれの家族が用意してくれたごはんをレンジで温めて食べた。カレーとか、麻婆丼とか、そういうもの。
ごはんの後、ぼくにコーヒーをいれてくれた。かれはまずスプーンでカップの底にコーヒーの粉で山を作った。その上に粉末コーヒークリームをたっぷり盛った。コーヒーの焦げ茶色と、クリームの白がきれいなコントラストになった。そして好みに応じて砂糖を投入。最後にお湯を一気にいれてカップをぼくに渡してくれた。
すごく濃いコーヒーだった。濃いコーヒーをつくることが、客人をもてなす証しと考えているみたいだった。お待ちどおさま、とかれは満面の笑みでぼくに濃すぎるコーヒーを差し出していたから。なぜかスプーンでかき混ぜるということをしなかったので、飲んでいると粉のクリームのにおいがきつくなったりして不均一な味がした。
その頃かれはヘビーメタルやハードなロックに夢中だった。コーヒーを飲んでいる間、ときには起き抜けでカレーライスを食べながら大音量で音楽を流していた。耳当たりのよいソフトなものや、時代の流れに迎合した音楽をかれは一切受け付けなかった。へんなたとえだけど、かれは修行僧が滝に打たれるが如くヘビーな音を聴くことを自らに課していた。横にいるぼくもヘビメタとハードロックの中間あたりの激しい曲を聴くハメになった。
今でもなにかの拍子にかれが作ってくれたコーヒーを思い出す。いま40代のぼくが、あの頃のコーヒーを飲んだら胃が悲鳴をあげてしまうに違いない。けれど当時はあの強烈なコーヒーをおいしく飲んでいたのだ。まだ若くて胃が丈夫だったからかも知れない。あるいはかれのもてなしの気持がぼくに届いたからだろうか。
ヘビメタとコーヒーの季節は、高校を卒業する前後の頃だった。ぼくは進路を決めないまま高校生活を終えようとしていた。次の一歩が踏み出せない自分に対して苛立ちを感じながら苦いコーヒーを飲み、ヘビーな音を聴き続けていた。
23(水) 一本のろうそくの明かりの中で歌を歌うという行為。
きのうの夕方、仕事から帰ってきた時、ぼくが住んでる区域は計画停電の最中だった。
アパートの前、暗がりの中で手探りでカギ穴を探し、ドアをゆっくり開ける。部屋はもちろん真っ暗。ひとり暮らしだから停電してても、してなくても帰ってきたときは部屋は暗いんだけど、やはりいつもと様子が違う気がする。暗闇が一層不気味です。
マッチを擦り、ろうそくに火をつける。停電時間はあと15分ほどだ。復旧するまでギターを弾くことにした。
アコースティックギターは電気がなくても音が出せる、ま、当たり前のことですよね。けどそれを実際に体感できる経験ってそうそうないかもね。
ろうそくのあかりのなか、アルペジオなんぞ弾いたりして気分が盛り上がってきたぼくは、調子に乗って歌をうたい始めた。でもふと我にかえって歌うのをやめた。あかりをひとつだけ灯して声震わせて歌うおれってどうなの?イタいヒトになっちゃってない?
自分の心にしまい込んでおくといつまでも恥ずかしい過去として記憶に残ってしまいそうなので、HP上で告白して忘れることにします。
18(金) 夕方の朝専用缶コーヒー、午前中の午後ティー
最近は缶コーヒーもいろいろバラエティに富んでいて、寝ぼけたアタマをスッキリさせると銘打った「朝専用缶コーヒー」なる商品がある。このあいだ、うっかりして夕方に自動販売機で「朝専用缶コーヒー」を買おうとボタンを押したら、いきなり警告のブザーが鳴ったあとでロボットみたいな声で「夕方に朝用缶コーヒーをお売りすることは出来ません」と自販機に叱られてしまった。そういえば知り合いから聞いた話だが、朝の出勤時に駅の自動販売機で「午後の紅茶」を買おうとしたら、激しくアラームが響いて、「午後ティーは午前中に飲んだらいけません」と拒否されたらしい。
. . . . と言うのはまっかなウソです。くだらない冗談を言いたかったんです。どうもすみません。
13(日) ある晴れた日曜日。
日曜日、晴れ。
洗濯物を干し終えてうちを出る。バスで立川へ。ユニクロでシャツを購入。春が来たとき、その季節にふさわしい薄い生地の服が着れないと取り残された気分になるので。
同じ駅デパ内の無印良品でファイルボックスを買う。この箱を利用して未開封のままで放置されがちな郵便物を整理するのだ。
楽器屋でギターのストラップを物色し、結局買わない。
喫茶店でコーヒーを飲む。
駅前の銀行でお金をおろす。通帳記入をする。
売店で 新聞を買う。
モスバーガーでコーヒーとフライドポテトを注文し、さっき買った新聞を読む。地震被災地のいたましい記事と写真にぼうぜんとする。
横のテーブルには胸にちいさなコサージュをつけた女子高生が5.6人で楽しそうに何かしゃべっていた。ケータイ電話でほかの友だちと合流する相談をしているみたいだ。卒業式の後なのだろうか、みんな賞状を入れる筒を手にしている。
モスバーガーを出て、今度は駅改札そばのマクドナルドでまたコーヒーを飲む。そうです、ぼくはカフェイン中毒です。
チーズバーガーを単品テイクアウトして店を出る。紙袋はいらないので断る。
チーズバーガーは駅のホームで電車を待ちながらその場で食べちゃう。
最寄駅に到着。残高不足なのでSuicaにチャージする。
近所のスーパーで買い物。冷凍うどん、缶ビールその他もろもろ。
うちに戻って買ってきた食材を冷蔵庫にしまう。
閉館間際の図書館に行き、CDを2枚返却。エリッククラプトンと、曽我部恵一バンド。
日が暮れたので洗濯物を取り込む。
ミツバと天ぷらをのっけたうどんを食べ、ビールを飲んだ。外はもうすっかり陽がおちて暗くなっている。あしたは仕事。
40代半ばの、くたびれた中年の日曜日。ささやかながら、それなりにおだやかな一日でした。
地震や津波で被災したみなさまに、一日も早くおだやかな日常が戻りますよう心からお祈り申し上げます。
12(土) ルーリード
ルーリードについて書く。
かれの名前を聞くと、ぼくの心にかすかに緊張が走る。何かを読んでいるとき、この名前が書いてあると軽く動揺する。この人の前ではバカなマネは出来ないな、と自分を戒める。もちろんぼくはルーリードと知り合いではないから実際に会うことはないのだけど。
彼が若いころ組んだバンド、ベルベットアンダーグラウンド。彼らのデビューアルバムの表ジャケットはいささか奇妙である。バンド名が記載されていない。アルバムタイトルも見当たらない。一本のバナナのイラストと、アンディウォーホールの名前だけ。
ベルベットアンダーグラウンドは、当時の売れっ子前衛芸術家、アンディウォーホールに見いだされた。退廃的な世界観の彼らの歌と演奏が、新しものずきのアンディのアンテナに引っかかったのだろう。アンディはニコという名の女の子をバンドに加えることを提案する。バンド側はこれを受け入れ、バナナのイラストのデビューアルバムを作り上げた。
ルーリードはアンディウォーホールの提案をどう受け止めたのだろう?ホントはイヤなんだけどアンディに逆らえなくて渋々ニコをバンドに迎え入れたのかも知れない。ニコ加入がレコードデビューの条件だったのかも知れない。あるいは「女性ボーカルも悪くないな」とすんなりOKしたかも知れない。気難しそうなルーリードの気持ちなどわからない。
ルーがニコをどう思ったかはともかく、ぼくはこのレコードでのニコの歌がけっこう好きである。「All tomorrow's Party」なんか堂々とした歌いっぷりでかっこいい。
でももちろんベルベットアンダーグラウンドというバンドは、ルーリードが歌わなくちゃ始まらない。1曲目「Sunday Morning」のかわいいイントロには拍子抜けするけど、「Heroin」「I'm waiting for my man」では、クスリやゲイについて歌っている。裏通りにうごめく連中の生き方を、刹那的な演奏を従えてルーは歌う。
意見の対立でもあったのか、ルーリードはバンドを抜ける。その後もベルベットアンダーグラウンドは活動を続け、何年かの後解散する。このバンドはセールス的にはそれほど売れたバンドではなかっただろうと思う。だけど後続のパンクバンドにはかなり影響を与えたんじゃないのだろうか?フォロワーは少なくないはずだ。
バンドを抜けて、ルーリードはソロで活躍する。代表作「ワイルドサイドを歩け」では、夜な夜なクラブでフェラチオに励むオトコや、すね毛を処理して女になったオトコなどを歌っている。いい歌です。
トランスフォーマーと言うタイトルのCDの中に「Perfect Day」という歌がある。ふたりで映画を見て動物園に行って、パーフェクトな一日だったという内容。ピアノとストリングスをバックに歌っているゆったりとした曲なのだが、実はこの曲はホモセクシャルのデートについて歌っていると聞いたことがある。だけど歌詞を読んでも男同士を連想させる言葉は見つからないんだよね。映画館→動物園のコースはNYのホモ特有のデートコースなのだろうか?東京の人間が新宿二丁目と聞いてそれを連想するように。
1980年代の終わり頃、ルーリードは「New York」と言うタイトルのCDを作った。ルー自身の弾くエレキギターと、バンドメンバーの弾くエレキギターはそれぞれきっちり右と左に定位されていて、粗削りで無愛想なギターの音が両方のスピーカーから飛び出してくる。1曲目「Romeo had Juliette」。リズムを刻み始めたギターに、ルーの声が絡む。歌うでもない、かと言ってラップのように韻を踏むでもない、まるで壊れた蛇口みたいにルーの声がだだ漏れて来る。おれはその頃この「New York」というCDにどっぷり首まで浸かっていて、歌詞カード片手に彼の言葉を追いかけるのを日課としていた。
ブルーススプリングスティーンが真っ赤に燃える火の玉だとしたら、ルーリードは青白く燃えあがる焔だ。声高に叫ぶことは滅多にない。けどその低い声で歌われる言葉たちには説得力がある。一見クールな青い焔は、実は赤い火よりも温度が高い。やけどしないよう注意が必要だ。
文中書かれている年代、人名等は佳野リサトの記憶によるものです。誤りがありましたらお許しください。ご指摘いただければ幸いです。
文責は全て佳野リサトにあります。
7(月) みぞれ降るなかひとりで芝生張り
いや~今日は寒かった。こういう天気の時は外での仕事は辛い。
ぼくは植木屋をやってます。木を植えたり剪定したりする仕事。造園会社で働いています。
ダンプを走らせ現場へ向かう。たいていは何人かでチームを組んで働くんだけど、今日の仕事はぼくひとり。たまにこういう日もある。だれにも気兼ねなくラジオのボリュームを上げる。
午前中は芝生を張った。気温はぐんぐん下がっていき、雨はみぞれに変わった。指先がかじかんで感覚がなくなっていく。
ぼくは現実逃避するために心の中で歌を歌った。「泳げたい焼きくん」。
この歌、歌詞が切ないですね。たい焼きが海に逃げて束の間の自由を謳歌するも、釣りをしてたオジサンに釣り上げられてしまう。
歌の最後のところ「やっぱりぼくはたい焼きさ、少しコゲあるたい焼きさ」というくだりが悲しい。みぞれが降る中で一人しゃがんで芝張りをしている、いまのおれにはたい焼きくんの気持ちがよく分かる。
午後になるとみぞれは止み、天気は持ち直してきた。低木を植え、水をやり、休憩なしで5時までたっぷり働いた。
帰りは当然のように渋滞に巻き込まれた。皆さん今日も一日仕事おつかれさまでした。