7月

 

 

 

30(土)   ひとりラブホ

 

 


   「ひとり焼肉」とか、ひとりでカラオケルームで歌う「ひとカラ」とか、そういう楽しみ方がここ何年かで広まってきているみたいですね。   ぼくとしては「ひとりラブホ」というものがあったらいいなと思う。ひとりでラブホテルに行って2時間休憩したり、あるいは一泊したりするのだ。「ひとりでラブホテルへ行って何が面白いの?」とあなたは言うかもしれない。いや、すごく面白いと思うよ。女の子がいっしょだとラブホテルの楽しさを味わい尽くす前に朝が来てしまう。エッチなことなどしているヒマはないのだ。

   ひとりでチェックインして部屋に入ったら、まずはビシッとノリのきいたベッドの上でぴょんぴょん飛び跳ねてみる。徐々に気分が盛り上がってくる。乱れた呼吸を整えたら、次にベッドの枕のところに配置されているボタンをかたっぱしから押してみよう。意味もなく照明を絞ってムーディーな演出をしてみたり、USENの演歌チャンネルを大音量で流してみたり。

 テレビのエロチャンネルを観ながら自慰行為に耽るのもいいかもしれない。ふたり用の広いベッドの上で、ひとり身のさびしさ、気楽さを堪能したい。

   ひとしきり遊んだら肌触りのよいシーツにくるまって眠ろう。外はうだるような猛暑でも、ここはほどよく空調の効いた快適な室内だ。窓はなく、必要なものはすべて手の届く範囲にある。ぼくはこういう限定された、閉じられた空間が大好きなのだ。

 

 

   ひとりラブホ、あったらいいな。

 


.  .  .  .  ギターを持ち込んで歌うのもアリだね。女の子があえぎ声を出したってOKな場所なんだから、ぼくが歌っても問題ないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

24(日)    ラブホテル

 

 


  ぼくは会社に自転車で通っています。途中、ラブホテルがあるのだけれど、きのうの夕方ぼくが自転車をこいでいると、そのラブホテルの駐車場から一台のクルマが出てきた。女のひとがハンドルを握っていた。自転車の進行をはばむ形になったのでぼくに軽く会釈をして、左右の安全を確かめてからクルマを車道に出し、走り去った。

   ただそれだけのことなんだけれど、ぼくは感心した。ラブホテルから出て来るクルマの運転手のなかには、歩行者や自転車にあまり注意を払わず、左右の確認もそこそこに慌てて車道に飛び出して行ってしまう人もいる。テレくさいんでしょうね。まあ気持ちはわかる。

 


   ラブホテルに出入りするとき、大抵の女の子はクルマの助手席で顔を伏せている。シートを思い切り倒している人もいる。きのうの女のひとみたいに、テレずにあっさりとラブホテルから出て来るひとが増えるといいなと思う。カレシとのハッピーなセックスの後で必要以上に恥ずかしがったり隠れたりすることないんじゃないかなという気がします。そういうひとが増えたところで、ぼくに何かメリットがあるわけではないのだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

16(土)   ヤバい

 

 


   きのう、レンタルビデオ店でアダルトDVDを借りた。ここ数日猛威をふるっている灼熱の太陽光線をもってしても、おれの性欲を焼き尽くす事はできない。

   そのDVDには二十歳くらいの今風の女の子が出演していた。男優さんに着ているものを脱がされ、あるいは着衣のままエッチな行為を繰り広げるのだが、その女の子、なにをされても「ヤバい」という言葉しか発しない。あんなところをそっと撫でられても、こんなところを指でいじられても、何をされても口をついて出るのは「ヤバい」の単語のみ。

 

   もう何年もまえから「ヤバい」という言葉の応用範囲が広がっている。ホメ言葉として「ヤバい」を使うことだって今はふつうみたいだ。美味しいケーキを食べて「このうまさはヤバい」とかね。このDVDの女の子は、エッチな行為のあれこれを全て「ヤバい」という言葉で済ませていた。

   そういう言葉の使い方の変化はまあわかるんだけど、何でもかんでも「ヤバい」じゃボキャブラリー不足なんじゃないかっていう気がするんだけどなー。

 

 

   でもさ、よくよく考えてみると、若者のボキャブラリー不足を憂いつつ、エッチDVDをみて下半身をいきり立たせている今のおれの状況、こっちのほうがはるかに「ヤバい」んじゃないか?いやホメ言葉じゃなくて。

 

 

 

 

 

 

 

 

10(日)   テレビのない暮らし

 

 

 

   もうすぐアナログ放送が終了しますが、地デジの準備はお済みですか?

 ぼくはぜんぜん準備してません。ぼくのうちにはテレビがありません。

 

 

   高校を卒業して、家を出た。不動産屋で物件を選び、部屋を借りた。暮らし始めたころ、部屋にあったのは着替えが入ったバッグひとつだけ。少しずつ家具は増えていったけど、今だにぼくのうちにはテレビはない。

   18の時「これからはテレビを見ないで暮らしていこう」と固く心に決めたわけでなくて、ただなんとなくテレビなしの生活に慣れてしまったんです。

 

   長年の習慣というのはおそろしいもので、今ではもうテレビがある日常というものが想像できない。これでも小さいころはテレビっ子だったんだけどな。

 

 

   テレビを見ないぼくですが、新聞のテレビ欄を読むのは大好きです。「NHKでやってるおひさまって面白そうだな」とか「JIN-仁-の最終回はどんな結末だっのかなぁ」などと想像をめぐらせる。大沢さんは現代に戻れたんでしょうか?

 

 

 

 

まさかタイムサービスはしないよね。
まさかタイムサービスはしないよね。

 

 

 

3(日)   安価のワンちゃん

 

 

 

 おとといの朝、クルマで現場に向かっていた。信号待ちしている時、気になる看板が目にとまった。

 

 

 

       [激安犬]

 

 

 

 

 

   国道沿いの店舗のショーウインドウに貼ってあった。どうやらペットショップみたいだ。ウチの店では安価のワンちゃんを取り扱っておりますよ、という意味の宣伝広告である。

 

   ぼくは犬やネコを飼った経験がないので、ペットショップのことがよく分からないのだけど、激安犬っていうコトバは宣伝広告としてどうなんだろう?

 

   ペットショップにとってワンちゃんは商品だから、安さをウリにすのもアリだと思う。だけど犬を飼いたいな、と考えている人が「激安犬」という宣伝文句をみて「お買い得なのね、それっていいわね」などと思うのだろうか?安いのはもちろんいいのだけど、アフターケアとかだいじょうぶなのかな、という気がする。

 

   以前と比べてペットショップも増えている気がする。安価を謳い文句にする店があっても、買う側もそれほど抵抗がないのかもしれないな。「激安犬」っていう貼り紙にドキッとするぼくの感覚はもう古いのかもしれない。