8月
31(金) フライドポテトの最後の一本
ファミレスでフライドポテトを注文すると、ケチャップとマヨネーズが入った小皿が添えられて出てくる。ぼくはフライドポテトを一本ずつフォークでつまみ上げ、小皿のケチャップ&マヨネーズにディップして食べる。ケチャップだけをたっぷりすくい取ってみたり、ケチャップとマヨネーズの間をディップしたりして楽しんでいる。ぼくはこういうチマチマした、いやらしい食べ方が大好きなのだ。
この間の日曜日、ぼくはファミレスでフライドポテトを食べていた。先週の日曜は仕事だったので、盆休み以来の休日だった。まだ早い時間で店内の客はまばら。ぼくはゆっくりフライドポテトを食べ、炭酸水を飲んだ。
ぼくはフライドポテトの最後の一本をくちの中に放り込んだ。その後すぐに重大な過ちに気づいた。僕はいつもフライドポテトを食べるとき、最後の一本で小皿に残ったケチャップとマヨネーズをディップし尽くしてギトギトになったフライドポテトを味わうのを至福の喜びとしているのだ。
小皿にはディップされぬまま残されたケチャップ&マヨネーズがあった。なんたる不覚。
ぼくはちょっとのあいだ呆然としていたんだけど、その様子を見ていた店内の客は、「空っぽの皿をまじまじながめてあのおっさんどうしたんだ?」と首をかしげていたかもしれないな。
26(日) ノーブラ女子を見ると勝手に起動する
おれの脳内アプリ・・・" 突起センサー "
暑い日の昼下がり、ぼくは近所のスーパーマーケットに向かって歩いていた。みんな強い日差しをさけて家にこもっているのか、町を歩くひとの姿も少ない。
むこうからおばあさんが歩いて来た。今まで部屋でパンツ一丁だったんだけど、外に出るから仕方なくTシャツを着たんだと言わんばかりの投げやりな部屋着姿だった。
「あのばあさん、ノーブラだな~」そう思った瞬間、おれの脳内で "ノーブラ女のふたつの突起センサー " と言う名のアプリが勝手に起ち上がり、おれの眼球はおれの意思と無関係にばあさんのTシャツをスキャンし、乳首の位置を確認した。その間 0,2秒。
いけませんねぇ、高齢の方とはいえ女性に対してそんなぶしつけな視線を送るなんて。だけど、その行為にいやらしい気持ちは全然含まれていないんです。それは単に確認行為なのです。僕にとってそれは街を歩いているとき、ティッシュ配りの人が差し出したティッシュを反射的に受け取るようなことなんです。
ノーブラの女性を見たら反射的にふたつの突起をさがしてしまう、オトコのあなたになら分かってくれると思うんだけどな~。これを読んだの女性のみなさん、ご立腹でしたらどうもすみません。
それにしてもおばあさんにまで反応するのはやり過ぎだな、おれのセンサー。
20(月) その2. ひとりディズニーランド
ぼくはやってみたことがないのですが、ひとりでディズニーランドに行ったら楽しいのか、それとも孤独を感じるのかを考えてみました。
アトラクションに乗る時はひとりだとちょっと肩身がせまい思いをしそうですね。順番待ちの行列の前後がカップルだったりするとなんとなくヒクツになってしまう。ビッグサンダーマウンテンに乗る時、二人掛けの座席にひとりで座るのはやはりさびしい。
「広々していて快適だなぁ」とくつろぐことが出来たらそのひとは大物だ。
園内の雰囲気とか、夜のエレクトリカルパレードはひとりでも楽しめるのかも知れない。ぼくみたいな中年男だとナニですが、女の子のひとりディズニーランドはアリかもね。
14(火) その1. ひとりとしまえん
以前ぼくはこの日記のなかで、ひとりでカラオケをするとか、ひとりで焼肉店に行くなどの単独行動の風潮について好意的な文章を書いた。ぼくは若いころからどこへでもひとりで行っちゃうタイプなので、そういう人間に対して社会が寛容だとありがたいのだ。
で、この夏オススメしたいのがズバリ、ひとりとしまえん。その名の通り、ひとりでとしまえんに出かけてプールで泳ぐわけです。ひとカラ、ひとり焼肉以上にハードルが高い。
ぼくはひとりでとしまえんのプールに行ったことがある。19とかハタチのころだ。朝からよく晴れた暑い日だった。家族連れや友達同志でやって来たグループがはしゃいでいるところにぼくはひとりでいた。ケータイ電話なんかない時代だからケータイをいじって気を紛らわせることなど出来ない。プールサイドで弾ける水しぶきや笑い声のなかで、真正面から孤独と対峙するのだ。イヤきついよこれは。それにしてもなぜぼくはひとりでとしまえんに行ったのだろう。われながらよく分からない。
そこのキミもこの夏、"ひとりとしまえん" を体験してみないか?流れるプールに身をまかせひとりぼっちで流されてみよう。キミのなかで、何かが変わるよ。よくないほうにね。
5(日) 夏の読書
ばっちり夏であります。入道雲が空にそびえ立ち、どこに行ってもちびっ子が走り回っている。男子中学生が自転車で徒党を組んで当てもなくさまよっている。セミがうるさい。図書館は節電なのか冷房の設定温度が高め。2012年の夏です。
ぼくが中学生のころ、夏休みに読んだ本といえば片岡義男のことを思い出す。若い人にはなじみのうすい作家かもしれない。片岡さんが書いた「スローなブギにしてくれ」は映画化された。主題歌は南 佳孝が歌ってヒットした。もう30年も前のことだけど。
片岡さんの作中の男女はさりげなく近づき合い、涼しげな恋愛をし、そしてあっさりとセックスをした。中学生のぼくにとってこれは驚きだった。オトナになったらこの小説の登場人物のように、水道の蛇口をひねるくらいカンタンにSEXできるようになるの?オ、オレにもこんなSEXの日々がやってくんのか?
いちおう補足すると、中学生の頃、「セックス」という言葉はぼくの頭の中では「SEX」と表示されていた。14,5歳の男子にとってその言葉は特別な光を放つものなのだ。当時はもちろんまだ童貞です。
片岡義男の書いた小説は、ぼくが中学生のころは書店の文庫コーナーにけっこう並んでいた。最近はあまり見かけないみたいだ。