5月

 

 

 

29(日)   早くも2011年前半の総括。

 

 

 

   今日は雨の日曜日でした。きのうも雨だった。あしたも関東地方は雨の予報。

 

   「ゴールデンウィークが終わっちゃったぁ」休みボケを引きずったまま、気がつけば5月もあと数日。6月になったら「梅雨の季節はゆううつだな~」なんて言いながら過ごすんだろう。そうしているうちに今年の前半が終わるのだろう。

 

   2011年の前半 (実際にはまだ五ヶ月だけど)、何をやっていたのか振り返ってみる。働いてゴハン食べて部屋を片付けて洗濯物を取り込んでビール飲んで眠る。こまごましたことに追われている日常。まあ生活というのはそういうものだけど、目新しい事に欠けた、メリハリのない日々でした。

   なんだかネガティブだな。きっと長雨のせいです。思い返してみればこの半年、楽しいこともいくつかあった。

 

 

   ぼくの場合、このままなんとなく生きていって、うっかりと還暦を迎えちゃった、なんてことになりかねない。でもうっかりしてたら還暦、ってなかなかステキです。

 

 

 

 

 

 

23(月)   閉店前、タイムサービスをめぐる攻防

 

 

 

   最寄りのスーパーマーケットにて。

   この店は夜10時に閉店するのだが、閉店の1~2時間前になると男子高校生とおぼしきアルバイト従業員がシールの束を片手に惣菜売り場に姿をあらわす。バイト君は陳列棚にならんだ惣菜に値引きのシールを貼っていく。作って間もない商品はちょっとだけ値引き、時間がたったものには半額シールを貼る。

 

   バイト君の背後にいつの間にか女性が立っている。初老の女性だ。彼女はタイムサービスがはじまる時間を見計らってスーパーにやって来るみたいだ。さり気なくバイト君のとなりに並び、値引きされた惣菜の吟味を始める。バイト君はシール貼りをしながら横に移動していく。それに合わせて女性もカニさん歩きをする。女性はタイムサービスで割引きになった全ての惣菜をチェックしないと気がすまないみたいで、バイト君の手もとに熱い視線を注いでいる。表情は穏やかだが目つきは獲物を狙うハンターの如く鋭い。ふたりは肩が触れ合うほどの近さでならんで立っている。

ハンターたちの熾烈なデッドヒート
ハンターたちの熾烈なデッドヒート

   この様子を少し離れたところから眺めていると、ふたりはまるでペナルティキックの時にサッカー選手がつくる壁みたいだ。相手のシュートに対し、ディフェンダー達が股間を手でガードしながら並び、ゴールを死守するあの壁のことです。

   閉店前、スーパー惣菜売り場で親子ほども年の離れたふたりが並んで壁をつくっている姿はちょっとステキです。ふたりは何を阻止しようとしているのだ?

 

   半額になったマグロ握りを買いに来たおれのことを阻止しようというのではあるまいね?なにを隠そう、ぼくもタイムサービスの時間を見計らってわざわざ自転車に乗ってやってきたのだ。ぼくの目もあの女性と同じく、獲物を狙うハンターのようになっているんだろうな。

 

 

 

いつもコーヒー飲みながらライブやっております。
いつもコーヒー飲みながらライブやっております。

 

 

 

22(日)   悩む必要なし。

 

 

 

   最近、と言うかだいぶ前からなんだろうけど、性差を感じさせる言葉が減っている。ポリティカル・コレクトネスというやつですね。看護婦は看護師と呼ばれるようになったし、スチュワーデスはフライトアテンダントと言い換えられて久しい。今後、ワンマンバスと言う呼称もたとえば「ワンパーソンバス」などと変更されるのだろうか?

 

   ライブハウスで、対バンなしでひとりで、あるいは1バンドでライブをすることをワンマンライブと言います。これを言い換えるとしたらどういう風にするんだろう?ワンパーソンライブ.  .  .  なんか変だね。ワンバンドライブかな?ワンミュージシャンライブ?

   考えてみたらおれ、ワンマンライブやれる実力ないし、お客さんも呼べないから悩む必要ないのだ。はっはっは。

 

 

 

 

 

 

18(水)   ネコ

 

 

 

  このあいだの連休中のできこと。

   ぼくは何をするでもなく部屋にいた。なんとなくカーテンを少し開けて外を見ると窓のすぐ下にネコがいた。ぼくに背を向け、ベランダに脱ぎっぱなしにしてあるビーチサンダルの上に座っている。

   ぼくはしばらくのあいだ窓越しの至近距離でニャンコの背中を見てた。彼 ( or 彼女 ) はときおり耳を動かして周りの様子をうかがっている。だけどすぐうしろにいるぼくには気付いてない。

   すごく楽しい時間だった。警戒心の強いニャンコの無防備な姿をかぶりつきで見ることができたんだからね。あーやっぱ猫背なんだなー、などとしょうもないことを考えながら見てた。

 

   そのうちネコはぷいっといなくなってしまった。また来るかも知れないのでベランダのサンダルはそのままにしておいたんだけど、その後ネコは姿を見せない。

 

 

 

 

 

 

 

4(水)   自己満足的親切

 

 

 

   先日のこと。

   押しボタン式の横断歩道の前で、青信号になるのを待っているおばあさんがいた。おばあさんは押しボタンのすぐ横に立っていたのだけどボタンが押されていなかった。このままではいつまでたっても信号は青にならない。ぼくはこっそりおばあさんの後ろにまわってボタンを押した。ほどなく信号が変わってぼくらは横断歩道を渡った。

 

   ぼくはさりげなくいい事をした、と内心得意になっていたのだが、その夜ふとんにもぐりこんで考えているうちに、ぼくがしたことは果たして親切なのかという疑問がわいてきた。

 

 

   おばあさんが今度あの横断歩道を渡るとき、おばあさんは前回のようにボタンを押さずに待ち続けるだろう。いつまでたっても信号が青に変わらないので「おかしいわねぇ」と首をかしげるかもしれない。

   あのとき、「ここのボタンを押せば信号が変わって向こう側に渡れますよ」と教えるのが本当の親切なんだろうねきっと。ぼくの行為は、ひとりよがりな、自己満足的親切だったみたいだ。

 

   だけど、信号待ちしている人に近づいていって、「このボタンを押すと信号が変わりますよ」と、さりげなく、反感を買うことなく教えてあげるのってなかなかむずかしいかも知れない。「ちょっとぼうっとしてただけよ」なんて思われたら目も当てられない。親切とおせっかいの境目はあいまいで.  .  .  .なんだかACのラジオ広告みたいになっちゃった、ポポポポーン。